東日本大震災から11年

2022年の3月11日は福島県の被災地(双葉町、大熊町、富岡町)でイベントのお手伝いをしてきました。

全国から頂いたメッセージをお届けして灯してきました

その想いがひとつになり...

「キオクツナグミライ」

私たちの任務はキャンドルを灯すだけではありませんでした。

被災地で起きたことを知ること。伝えること。

会場の隣には、東日本大震災・原子力災害伝承館があります。

正直、辛くてあまりカメラを向けられませんでした。

でも全て現実に起こってしまった事実。

当時、福島第一原発で実際に作業をされていた語り部さんからもお話を聞きました。

過去のことではなく、まだいろいろな問題を抱えています。

※地震当時のまま残る商店

※折れたままのスクールゾーンの標識。すぐ近くの小学校は帰還困難地域のため現在は子供は登校していません。校庭は建設業者さんの復興作業エリアとなっていました。

※汚染土の土嚢は町の至る所にあります

※原子力発電所の事故によりまだ入ることができない地域

私は、震災当時は会社員(システムエンジニア)として働いていました。

高層ビルだったので、船に乗っているような長い揺れを感じたことを覚えています。

「計画停電が起こるかもしれないので、サーバーを関西にある予備に切り替える必要があるかも」

イレギュラーな事象のため、資料作りやシミュレーションなどに追われていました。

テレビでは津波で家が流されて家族の行方がわからない。食べ物がない。という被災地の現状が報道されていました。

私は暖かいオフィスで仕事をしている。

でも私は被災地に対して何もできない。

なんとも言えないモヤモヤとした感情がありました。

CANDLE JUNEさんや日本キャンドル協会から頂いたきっかけで、福島へ行くことができました。

滞在期間は2日だけでしたが、現地へ行ったからこそ感じられた事がたくさんありました。

特に被災地で被災者の方から直接聞いたお話は胸に突き刺さるものがありました。

私にも少しだけどできることがあるかも。行ったことで感じることもできました。

繋がるだけでもいいのかも。

「11年目の節目」ではなく、12年目が始まったんです。

住んでいる私たちは一日一日を生活しているんです。

そんなお話も伺いました。

キャンドルは灯すと灯火に癒されます。

自分の癒しの時間に灯していた灯火を祈りの灯火へ

月命日の11日に灯して祈りたいと思います。

みんなのことを忘れていません。繋がっていますよ。と。

福島へ行く道中で、どんな面持ちで行ったらいいのだろうと考えていました。

どうしたらいいのかわからないまま到着したら、みんな笑顔で迎えてくれました。

みんな前を向いていました。

福島楽しい!

そう思わせてくれたのは現地の皆様のおかげです

元気をいただいたのは私たちの方かも。

左から、大林先生、あやの先生、私、まみ先生

JCA理事の金指さんとJCA事務局の堀先生

JUNEさん

こんなにたくさんの人が繋がっています。

下手な文章ですが、最後まで読んでくださりありがとうございます。

また福島でみんなに会えることを楽しみにしています。